生成AI(人工知能)の代表例のごとく「ChatGPT(チャットGPT)」が登場し、
たちまちのうちに私の受講生の中にも浸透している感触があります。感触がある
という曖昧な表現であるのは、確たる証拠を得ていないのが現状(というか、
そんな犯人捜し的な事を現時点で実施する価値がない現状)があるためです。
さて、このチャットGPTについては、その利活用について賛否両論があること
は皆さんも御承知のことと思います。今回のタイトルにも示しましたが、「使い
よう」によると私は考えています。そのため、チャットGPTの利用に制限を加え
るべきでないという賛成の考え方も否定するつもりは毛頭ありません。しかし、
チャットGPTの回答を、「私が考えたことである」とするのは間違いです。
大学以降の講義において、受講生に求めるものは「それが正しいかどうか」だ
けでなく、その結論や主張に至るプロセスを論理的に説明できるようになり、
その論理展開の適切性・合理性を自覚(ないしセルフチェック)できる能力を
修得することです。したがって、オンデマンド授業(特に録画視聴型のもの)で
黒板の字がハッキリ見えないから成績が悪くなっているというのは的外れのコメ
ントですし、「正しい憲法」の授業をしていないから聞く気がなくなったという
のも的外れのコメントです。
では、チャットGPTをどのように使うのが適当なのでしょうか。
正直に言えば、年々ITスキルの高い若い世代が増えているという印象はありま
せん。むしろ逆にITスキルの低い人が増えている印象があります。例えば、大学
付与のメールアドレスとその関連資料をもちながら、そのメールアドレスを打ち
込めば自分のスマートフォンにメールが届くと思っている人や、メールを送るよ
うに指示されたのにもかかわらずLMS上のコメント機能でコメントを送ることで
メールを送ったと解釈している人、ウェブページをコピペ(コピー&ペースト)
してレポートを作成するとWordファイルの表示がズレることに気づかないでその
まま提出する人など、これまで見たこともない珍しいエラーが頻発しています。
したがって、現時点では、チャットGPTの回答を1つの意見として受け止め、
それに納得できるかどうかを自分で考え、コピペをするのではなく、自分の言葉
で回答やレポートを作成しなさいと言い続ける程度しかないように考えます。
チャットGPTは、使いようによっては自分で考える必要のない状況を作り出す
ことができます。が、それは自分が自分でなくなる瞬間すなわち自分がロボット
になってしまうことを意味するのではないでしょうか。そして、そんなロボット
に対する評価が0点であることも言うまでもないことでしょう。
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